有馬

 2007年春、
当時人気の絶頂を迎えていた佐々木配信のその日の配信画面上には、
サバイバルゲーム用のマスクを被った男が映し出されていた。
佐々木の配信に佐々木の父親、祖母以外の人間が現れるのは初めての事だった。
その男は不器用ながらもリスナーに対して笑いを提供しようとし
佐々木もその男に発言する機会を振ったのだが
男はろくに喋る事が出来ず、
最終的に佐々木がその男を追い返す事で何とかオチをつけた。
 それから数日後、その男は2ちゃんねるの実況板である「なんでも実況V」板において、
PC版シムピープルの実況配信をした。
まだ配信慣れしていないその声は、微かに震えていたと私は記憶している。
 その後、男はピアキャストで配信を始め、
名は「有馬」と名乗った。

 有馬はピアキャスト配信を開始した当時、大学入学間もない時期であったため、
有馬は新しい環境での生活で様々な困難に遭遇し、
それを配信に反映し、人気配信者となった。
 その後有馬は数回の炎上を経験し、その影響により配信が途絶える時期があったが、
今現在も雑談配信をにおいては300弱のリスナー数を保持しており、
2009年8月現在も人気配信者の一角と言える状態を維持している。

 有馬の配信を見る範囲において見て取れる有馬の人格について分かる事は、
有馬という人間の心の壁は平均的な人のそれよりもかなり高いと言う事である。
そして現実世界での悩みもその点と関係しており、
今後も有馬の人生の方向性に大きな影響を与える事になるだろう。

 現実世界では障害となる前述の心の壁の高さだが、
これは有馬配信において受ける、有馬配信独自の印象と密接に関係しており、
有馬配信独自の魅力を生み出している。
 
リスナーは配信と言う場において、有馬と同じ映像を見、同じ時間を過ごす事によって
有馬の心の高い壁の内側に入り込む。
この時受ける配信者との距離感の近さは、他の配信で受けるそれに比べ非常に近く感じる。
 有馬の配信を見、レスをし、そのレスを有馬が読むその瞬間、
有馬とリスナーは高い壁で囲まれた狭い空間を共有するのである。
 しかし有馬自信はネット上でのこの奇妙な人間関係を求めながらも、
この状況に対する違和感や嫌悪感に近いものも感じており、
リスナーを見下す事によって距離を保ち、この状況を成立させている。

 この事が最も端的に現れているのが、有馬配信の実況スレッドのレスである。
一般的な配信者のスレッドのレスよりも馴れ合いの雰囲気が濃いのだが、
しかしどこか有馬に対して気を使った表現を使い、
リスナー自信も有馬との距離が近すぎる事がない様に振舞っているように見える。

 このような、人間同士が係わり合いを欲しながらも距離を保つと言う
生々しい人間らしさを感じさせるのは有馬配信独自の特徴である。

有馬配信はピアキャストというツールの業の深さを改めて感じさせる。

採点

有馬:7.0

やすひろ (( ´Д`) 、顔文字)

 ピアキャスト配信者の種別の一つに「祝福された変わり者」と名付ける事が出来る種別がある。
一般社会では必ずしも肯定的に受け取られない個性でも、
ピアキャストと言う人間的な刺激を求める者が多く居る空間ではその価値が反転し
変わり者は祝福された存在となるのである。
 この価値観の反転は、好事家達の視線の集まりによって引き起こされる現象であり、
この点が奇行を奇行として行う佐々木等の奇行系配信者との決定的な違いである。

 この「祝福の視線」の本質は侮蔑やさげすみである。
人間には自分より弱い者を見つけ安心したいという欲求がある。
そしてその欲求はただ弱い者を観察しているだけではなく、
何等かの形で係わりを持てばその欲求をより強くみ足す事が出来る。
そしてピアキャストの世界ではそれが掲示板への書き込みとして具現化されるのである。

 本稿の批評対象であるやすひろは
私が知る限りピアキャストに最初に現れた祝福された変わり者である。
力の抜けた声と共にカメラに自らの姿を晒したやすひろは多くの祝福の視線に晒され
人気配信者となった。
掲示板には明らかに他の配信よりも配信者に高い位置からの目線が向けられている事が感じ取れる書き込みが多く見受けられた。
 やすひろに向けられた「祝福の視線」に隠された人間の否定的な欲求に気づいていたのは
私だけではないはずである。
私以外の多くのリスナーも自らの心の中に湧き上がる否定的な感情を自覚しており、
やすひろ自身もその事に気付いていた一人であったに違いない。
 そしてそういったある種の特殊な価値観の共有がやすひろ配信の独自の魅力になっていた。

 リスナーは現実世界では憚られるような視線を投げかけ、
やすひろは半ばそれを自覚しながら自らに集まる生の人間による反応を楽しんでいた。
この現実世界では成し難い共犯関係が、リスナーとやすひろを強く結び付けていた。

 祝福の視線によって変わり者を祝福すると言う手法は、
やすひろ配信で多くの者が学習し、
その後殺し愛やHigh-da、ギターウルフマン、美輪、クロネッカ配信等で繰り返される事になるが、
前述のリスナーと配信者が奇妙な共犯関係による連帯感を共有すると言う状況は
後にも先にもやすひろ配信のみで成立していた稀なケースである。
 やすひろ配信は、
ある人物に対する否定的な感情ですら
その人物との人間関係を成立させる要素であると証明している。


採点

やすひろ:7.8

ギターウルフマン(ハンサム少佐、まんじぇろ、マラソンセキトリマン)

 ピアキャスト配信において配信の秩序とは、
配信者とリスナーの間で徐々に作り上げられていくものである。
リスナーは対象の配信者がどの程度まで踏み込んだ話題を許容するのか見極め
配信者はリスナーからの書き込みに対して拒否や受容の意思表示をする。
この繰り返しが配信の秩序を形作っていくのである。

 ギターウルフマン配信において秩序を守るべく制定されているルールは
他のピアキャスト配信に比べて突出して多い。
リスナーは常にウルフマンの気を損ねないように言葉を選び書き込みを行う事を要求される。
そしてそれは掲示板のNGワードという実質的な制限に表れている。

 ここまで厳重なルールを形成するに至るには、ギターウルフマンを語る上で欠かせない
人格の使い分けがある。
ギターウルフマンは配信上で何等かの困難に対峙した時、別人格を生み出す事によって対応してきた。
そして人格を切り替えるたびにルールが継承され、
現在のような鉄の檻とも言えるルールを築いたのである。

 ギターウルフマン配信において特筆すべきは
この一見配信にとって面白さをなくしてしまう効果があるのではと思われる厳重で窮屈なルールが、
逆にギターウルフマン配信独自の笑いを生み出していることである。

 ウルフマンが配信で演じている人格は、誠実で、他人の悪口を言わず、無欲で、無思想な人格である。
そのような人格が厳格なルールの下配信をしているという状況では、
世間一般の人間が身内で交わすような会話ですらルールに抵触する事になり、
掲示板の書き込みは当たり障りの無いものばかりになるのであるが、
時たまその中に、他の配信の基準ではOKだがウルフマン配信ではタブーとされるような
踏み込んだ内容が書き込みが行われると
その瞬間に”秩序を打ち破ろうとするものと秩序を守ろうとする者”という構図が生まれるのである。
しかしその内容の大抵は一般的に見れば他愛の無いものであり、
この状況が生む緊張感と他愛も無い書き込みの内容のギャップから笑いが生まれるのである。

 この構図が生まれるのは掲示板の書き込みにおいてだけではなく、
ウルフマン自身の行動や言動自体においても成立する。
無欲ウルフマンが貪欲な発言をうっかりしてしまうだけでそこに
無欲なキャラクターという自らに課したルールを破ってしまったという状況が生まれ
笑いが生まれるのである。

 このような高度な笑いを成立させる環境は
今現在定期的に配信している配信者の中では最も長い部類に入るウルフマンの配信歴の中で培われたものであり。
一朝一夕に成し遂げられるものではない。
最早、初期はタブーが無かったウルフマンが
今は自ら築いた鋼鉄の檻の中に自ら進んで入り配信をしているという状況自体が笑いを生んでおり
ギターウルフマン配信は
ピアキャストの歴史、ピアキャスト独自の秩序形成の過程を経て生み出された
ピアキャストが生んだ高度な文化的存在と言える。

 かつて人が野生の脅威から逃れるために村を作り、
自らが作った堀や壁の中に進んで入っていったように。
人間はその時代の脅威から逃れるために自ら檻を作りその中に入る事を繰り返してきた。
そしてその脅威は常にその時自分が所属していた集団の中から生まれ、
同じ集団の中に居るからこそ脅威に成りえた。
ウルフマンは実社会の脅威から逃れるためにピアキャストと言う檻を見つけその中に入り、
更にピアキャストの社会の中の脅威から逃れるために
檻を設けてその中に入っていったのだ。

ウルフマンは人間が次に飛び込むべき檻が何処にあるのかを
その強すぎる感受性によって無意識に感じ取り自らの身をもって指し示しているのである。

採点

ギターウルフマン:9.0

クソゲーの中の人

 ピアキャストの世界で古参を自称する者の多くから復活を渇望され、神格化されている配信者
それがクソゲーの中の人である。

 彼の配信は現在ではほぼ絶滅状態にある「マイクなしゲーム配信」である。
クソゲは音声を使わずメモ帳に文字を入力し、それを配信画面上に表示する事や、
自身ののセンスによって選び抜かれた音楽や効果音を再生する事によって自らの意思をリスナーに伝えた。
 クソゲが配信していた当時はこのような配信形態は珍しい事ではなく、
配信中に自らが好む音楽をかける事自体は現在も殆どの配信者が行っている。
 しかし配信画面上に映し出された雰囲気と全く関係の無い曲調の音楽を流し、
結果的に配信者のエゴがリスナーの感覚を混乱させ不快な思いをさせてしまっている配信は少なくない。
 それに対してクソゲが配信中に流す音楽は慎重に選別、マメに変更され、
配信画面から受ける印象に決して逆らう事は無かった。
その点においてクソゲは明らかに他の配信者よりも優秀であった。
そしてこの音楽のセンスが彼の配信の最大の特徴であった。
逆に言えば配信から得られるクソゲ個人の人間性を感じさせる情報は音楽のセンス以外に特に無いのである。

 この世の中にはクソゲと言う人格は確かに存在している、
しかし配信を通して垣間見れた人格ははクソゲの人格のほんの僅かなものである。
そしてそれに反比例するようにネット上にはクソゲに関する情報が流通し、
多くのリスナーの心の中に貴重な視聴体験として形を残している。
このような状況から導き出される結論は以下のようなものである。

 ピアキャスト配信者クソゲという配信者の人格の殆どの部分はリスナー側の脳内に存在する。
リスナーはクソゲ配信から得られる僅かな情報を租借し掲示板にレスポンスを返し、
配信という場をクソゲとそのリスナーで共有した。
このようなリスナーの心の中にある視聴体験そのものがクソゲという配信者の実体である。

 2008年以降にピアキャストに出会い、
一度もこの伝説の配信者「クソゲーの中の人」の配信を目にする事が出来なかった人が居るのなら
それを残念だと感じる事は無い。
クソゲと言う配信者を体験するにはこの批評を読めば事足りる。
あなたがこの批評を読んで想像したクソゲ像と実際にクソゲ配信を見て認識するクソゲ像との違いは、
実際どのような音楽をかけていたかという点ぐらいのものである。
あなたがこの批評を読みクソゲがどんな配信者か少しでも想像したならば、
あなたも明日からピアキャスト古参リスナーを名乗ってみてはどうだろうか。

採点

クソゲーの中の人:8.5

ニコ坊鈴木

 ニコ坊鈴木は自身の配信を開始する以前からピアキャストの世界で動画職人として名を知られていた。
ピアキャストの格配信の名場面をテレビのランキング番組風に編集し、
自らの名を冠して「ニコ坊鈴木のピアキャストランキング」と名付けられた動画は、
2007年末から2008年初頭ごろまで、ピアキャストシーンを視覚化する役割を担っていた。
 彼の動画は佐々木、永井先生と言ったピアキャストの主神のみならず、
当時ピアキャストシーンで中堅配信者として活躍していた配信者を取り上げ、
それをニコニコ動画というピアキャストの外の世界へ露見させる事によって、
相対的にピアキャストの世界というものが存在すると言うイメージをより強固に抱かせる効果があった。
High-da!登場以前にこのような触媒としての機能を果たした事実は、ピアキャスト界における鈴木の最大の功績である。

 動画職人として一定の地位を築いた鈴木が初めて配信の世界において配信をする側に現れたのは、
2007年末m9の配信でのm9とのスカイプ対談であったと記憶している。
鈴木は2008年に自身の配信を開始すると宣言し、
その宣言は多くのピアキャスト民から歓迎された。
そして年が明け宣言内容は実行された。

 結論から言うと鈴木は配信者としては決して成功したとは言えなかった。
鈴木は多くの配信者と同じように、自分から何等かの情報を発信し、
それに対して掲示板に寄せられたレスを読むという形式の配信を行ったのだが、
鈴木には既に動画職人としての思考が染み付いており、
配信のノイズに成り得るようなレスは読まず、自らが求める配信内容に沿ったレスのみを読み上げた。
レス読み飛ばしはレスが集中した場合どんな配信者でもやむを得ず起こる状況だが、
鈴木の場合、どれだけスレッドが過疎状態になってもレスが集中しても姿勢は変わる事は無かった。

 鈴木はニコニコ動画にアップロードする動画を作成する際、
様々な配信から自分が面白いと思った場面を抜き出し動画を作成したように、
掲示板の内容を脳内のフィルターにかけ編集し、ノイズの無い世界を作り上げ配信を成立させたのである。
 このレス読みの特徴はあくまで鈴木配信の特徴の端緒であって、
動画職人としての染み付いたこの思考は配信内容全般において影響していた。

 その結果配信は人間味の無い味気の無いものになり、
初回放送こそリスナー数は数百をたたき出したものの、
徐々にリスナー数は減り、配信末期においては三桁に僅かに足りないレベルを行き来していたと記憶している。

 結局の所、鈴木は配信する側にありながら、性質はリスナー時代とあまり変わらず。
その歪みを抱えたまま配信を続けたというそれだけの事であるが、
鈴木の配信は、ある事柄に対して人間と言うものは
それぞれ何等かの要素から与えられた役割があるのだと言う事を我々に提示した。
ピアキャストはネット上でありながら生身の人間の姿を映し出し、
時に教養や人生経験を与えてくれる。
そう言った意味ではニコ坊鈴木以上に人間に味あふれる配信者は居ないのかもしれない。

採点
ニコ坊鈴木:6.0
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