High-Da!

 ハイダ、エイチアイジーエイチハイフンディーエー
ビックリマークだけが全角で、High-Da!である。
一般的にはギターウルフマンの職場の先輩である事から「先輩」と呼ばれていた。

 先輩が始めて配信の画面に現れた時、私は動揺した。
 私は先輩が配信を始めると聞いて、ピアキャストウォッチスレッドで
「先輩はピアキャストの世界の人間ではないのだから、丁寧に迎え入れよう」
と呼びかけていた。
しかし、配信の画面に映し出された先輩の容姿を見て、
それをいじらずには居れない衝動に襲われたのである。
私はスレッドに「赤影さんやが」と書き込んだ事を記憶している。
それほどに先輩のファーストインパクトは強烈なものだった。

 そしてその衝撃は初回配信以降も続いた。
カラオケ、夜食、雑談、そのどれをとっても
今までピアキャストで見た事のある配信の中でもトップレベルの奇行配信だった。
 見ている者がどのように受け取るか全く考えずに歌い上げるカラオケ、
そしてその自分の歌声をBGMに雑談をし、
腹が減るとまるで空気を吸い込むように食べ物を胃に収めるのである。

 先輩がこれだけ質の高い配信を安定して続けられた裏には、
彼が青年期から現在の39歳に至るまで続けてきたオタク活動の蓄積がある。
先輩は定時制高校入学時から現在までその収入の殆どをオタク活動に費やした。
そしてその結果、どれだけ吐き出しても無くならない配信力を身に付けたのである。

 先輩は自身の未来について質問された時多くを語らない。
予想される将来は不透明である事を自覚しつつも、
特にその不安を取り除くための具体的な考えは無い。
何故なら先輩にはこれまで20年間、好きな物だけを選り抜いた居心地の良い思いでの世界があり、
その世界に思いを馳せれば将来の不安など目の前から消えてしまうからである。
つまり先輩にとって現在とは自分にとって心地の良い過去を生み出すための時間なのである。

 であるから先輩の配信は、先輩自身が39歳まで独身を続け、
収入の殆どを自らの欲望の趣くままに趣味につぎ込み先輩の内部に蓄積された情報を、
再度胃袋から取り出し反芻し
それを自分以外のリスナーと共に再度体験する事によって、過去の思い出にまた新しい鮮度を与え
永遠に色褪せない思い出を生み出す行為だったのである。

 結果的に先輩の配信は、
それまで先輩が自分の好きなものを選ぶことによってかけられたフィルターを通った情報が発信され、
歌、踊り、飯という娯楽のツボを抑えた配信となり、
画面から受ける奇抜な印象と安定した娯楽性という最高のバランスを手に入れ、人気配信者となったのだ。

 先輩がピアキャストで行った活動として思い出の再生産以外にもう一つ大きなものがある。
それはオフ会である。
先輩がオフ会を行った時期は永井先生、佐々木の隆盛によりピアキャストシーンと言うものが
ピアキャスト民の心の中にそれまでより強固に形作られつつあった時期である。
しかし既にこの時期永井先生、佐々木は半引退状態であり、
ピアキャストの世界に集まった思念はその拠り所を求め彷徨っていた。
先輩自身にそういった自覚は全く無いと思われるが、
先輩のオフ会はそう言った思念の拠り所となり、
先輩のオフ会にはリスナーだけでなく配信者も多数参加し
ピアキャストシーンの存在を視覚化する機能を果たしていた。
これは先輩の誰も嫉妬しないであろう性質だからこそ成し得た功績であろう。

 また、先輩の配信で印象的な事柄として、先輩の思考と職業の関係を見て取れるという点がある。
先輩は人との対立を極力避けようとする性質が見受けられる。
たとえ自分が中傷されても真っ向から抗議しようとしない。
政治、経済に係る話題に関しても一定の考えというものが全く無い。
これは先輩の職業であるコールセンターのサポート業務従事する事によって形作られた個性だと思われる。
 対面なら些細な誤解に終わる問題でも、
電話と言う顔の見えない状態での言葉のやり取りは非常に慎重に行わなければ、
大きく相手の感情を動かす事がある。
このような問題に対し先輩相手と対立しないという手段で対応し
次第に日常生活での個性として先輩の内部に定着していったものと思われる。
この傾向は先輩の同僚のギターウルフマンにも見受けられ、
この仮説の有効性を高めるものとなっている。

 本ブログ「ピアキャスト配信者批評」は通常ある一点に絞って
その配信者に対してまだどのサイトでも指摘されていない新しい切り口での批評を提示する事を心がけている。
しかし先輩に関する批評は一点に絞りきる事が出来ず、この文節の時点で既に三つの点について記述している。
それほどまでに先輩はピアキャストの世界で多くの事を成し遂げ、
個人配信の未踏地域を踏破していった。
ピアキャストに与えた功績という点では、先輩は永井先生、佐々木に匹敵する偉大な配信者である。

 今現在先輩は2008年11月の第114回配信を最後に引退状態にある。
ウォッチスレッドでは先輩の復活を渇望する書き込みが連日書き込まれ、
先輩の配信の録画が再配信され、200人近いリスナー数を獲得している。
 もし、あなたがこの先輩の復活を渇望する人々の中の一人ならば、
第二、第三の先輩は配信の画面の中に居るとは限らない。
あなたがやっている事は先輩がやっていた思い出の再生産行為と何も変わらない。
今PCの画面を見ているあなた自身が、第二のHigh-DA!である事にお気付きだろうか。

採点
High-DA!: 9.0

ひとりはなかよし(ふたりはなかよし、配信者A)

何者かに成ろうとする摩擦が生み出す魅力。

 ひとりはなかよしというタイトルで配信する配信者Aについての批評だが、
通名としてはフィリオが広く通用しており、配信者Aと呼ばれる事が殆ど無く
本人も了承しているようなので本稿では当配信者を「フィリオ」と呼ぶ事にする。

 若者と言うのは中身が無いものである、
何の義務も負わず過ごしてきた20年余で得た経験など、
実社会で責任を負い経験する事の前では殆ど価値が無い。
頭が柔軟な時期を反復による学習に充て、学業において結果を残す事を迫られるが、
その時点でその結果自体が何を生み出すわけでもない。

 フィリオもまた、まだ何者でもない中身の無い若者の一人だった。
しかし普通の若者よりもフィリオの配信が魅力的だったのは、
人よりも何者かになろうとする欲求が強く、その欲求に従って行動したからである。
その様子は他人から見れば時に滑稽ですらある。
この二つの視点のズレがフィリオ配信の面白さを生み出していたのだ。
 
 現在フィリオは就職し「中身の無い若者」の時代を終え、
一人前の人間になりつつある。
それと同時に配信頻度は激減したが、
むしろそれより前にリスナー数やレス数が激減した。
フィリオから見れば自分は既に自分が何者であるか配信で確認する必要は無くなり、
リスナーから見れは何者かに成ろうとするフィリオを見ることが出来なくなったからである。

 彼はよく大人と子供の摩擦を表現するロック歌手やラッパーについて話しいた。
フィリオは無意識にだが、ピアキャストにおいて同様のテーマを取り扱った最初の人物である。

採点
フィリオ:7.0

西村プラスチック

ピアキャスト史上最も面白い名前バレを記録した男

 ピアキャスト配信者で自ら進んで自分の本名や住所を晒す者は少ない。
しかし、長く配信をすると何故か本名や住所がばれてしまうのだ。
情報の露見の仕方は様々なパターンがあるが、
その中で西村プラスチックの本名バレほど人の笑いを誘うものは無いだろう。

 西村は配信中カメラに自分が幼少期に遊んだファミコンカセットを写したのだが、
このカセットにマジックペンで本名が書かれていたのである。

 西村プラスチック自身は優秀なゲーム配信者で実況力はかなり高く
女性配信者との絡みや他にも特徴はあるのだが、
この名前バレの面白さの前では些細な事である。

採点:8.1

Zero

 人間観察としてのZero配信視聴は非常に面白い。
Zeroはよく亡くなった彼女の話をする。
その話は嘘であるという指摘が度々意見所などで興るが、
ここではこの話の真偽は判断しない。
面白いのは何故その話を配信でするのかを考えた時、
Zeroの趣味であり、教養の全てであるアニメや漫画との関わりが見て取れるからである。

 Zeroのように実社会に身を置かない人間は、
他人との融和や摩擦によって自己を確認する事が出来ない。
出来るのは人生というストーリーの中で自分がどのような立場に立っているか。
つまり物語上で主人公足りうる人物かを証明する事によって自己を確認する事である。

 かつて漫画において主人公が何かに挑戦して成功するに至る事を読者に納得させる手段は、
主人公が努力をする様子を見せる事だった。
主人公はこれだけ努力したので、成功したという文脈を読者に提示し、成功の根拠としたのである。
近年においては努力が感情に置き換わった。
物語の主人公はどれだけ感情的に過剰な存在であるか、
例えば捨てられた子であるとか、恋人を失ったという背後に背負ったドラマが
主人公を主人公たらしめ、成功するべき資格となったのである。
強いトラウマを抱えた主人公はどんな細腕でも巨大な武器を振り回す説得力を得るのだ。

 彼女が亡くなるという事自体は大変辛い事であって、
それに対して深い悲しみを抱く事は全く正常であるし、共感する
しかしZeroの執着は単なる悲しみを超えて、その悲しみが自己確認の手段になっているように見受けられる。
 この悲しい出来事と対峙するうちに
Zero自身も気付かぬまま自己確認の手段を手に入れ、
それが唯一の自己確認の手段であるが故に、
実社会へ足を踏み出す事を阻害しているのではないかと思う。



 ここで私は、過去の出来事に執着する事によって自己確認をする生き方に対して
否定的な見解を述べて締めようと思ったのだが、
どれだけ思考を巡らせてみてもこれを否定する合理的な根拠が無い。
私は真似をしたくないが、
Zeroは自分を取り巻く状況の中で最良の選択をしているのかもしれない。

採点:6.0

人生一人旅

人生一人旅

リスナーと共に「配信」という神輿を担ぐ配信者

 ゲーム内の出来事に大きなリアクションで感情豊かに反応する。
これはゲーム実況で最も重要な事柄である。
この事柄に関して人生一人旅はピアキャスト界で最も長けていると言って良い。
一人旅がこのような能力を身につけるに至った経緯が何であるか考える事が、
人生一人旅という配信を批評するに当たって非常に重要である。

 佐々木、永井先生に代表される、自分という神輿をリスナーに担がせるタイプの配信者は、
常に配信者の側からリスナーに価値のある配信を提供するという形をとる事によって成立している。
それに対して一人旅配信において担がれる神輿の上には一人旅は居ないのである。

 多くのゲーム配信は「このゲームを打開する」と宣言したりタイムアタックに挑戦することによって、
何かしらの困難に挑戦するという状況を生み出し、これを神輿とする。
 これに対して一人旅の配信はゲームをクリアする事もない、タイムアタックをするわけでもない
それでいてプレイするゲームは頻繁に入れ替わるのである。
そしてプレイするゲームは「面白いか、面白くないか」で決められる。
つまり一人旅の配信は本当に単純に一人旅とリスナーがかなり近い目線でゲームを楽しむという構図をとっている。
この場合神輿はゲームそのものである。
神輿そのものの美しさは多様であるが、
神輿の担ぎ手の優劣はその役目が担ぎ手であるかぎりいかに担ぐか以外で表現しようがない。
であるから、一人旅が前述のような配信の構造を採用する限り、
配信の価値を生み出す手段はゲームという神輿をいかに上手に担ぐかによって以外では生み出せないといえる。
そのような状況の要求によって、一人旅はピアキャストトップレベルのゲーム実況力を手に入れたのである。

 一人旅は現在ニータイムの帝王と呼ばれており
ニートピアキャス民から長期に渡って絶大な支持を集めている。
しかしこの称号は少し間違っているかもしれない。
何故なら一人旅リスナーは一人旅と一緒に神輿を担ぐ仕事をしているからだ。

採点
人生一人旅:8.0
Search Form
RSS
Link
Powered By FC2 BLOG

Let's start blogging!!

Powered by FC2BLOG

Add Friend Form

Add this person to blog friend